SEからドローン・スタートアップ事業推進マネージャーへ転身

「ドローンでひらく、新たなキャリア」連載第4回後編では、株式会社アイ・ロボティクス 事業推進マネージャー 我田友史氏、ソフトウェアシステムエンジニアからの転身ストーリーを紐解きます。転職活動の具体的な内容や転職を決意した理由について、前編よりさらに掘り下げてお話を伺いました。

 

困っている人の「助け方」が変わっただけ

−−前職での業務内容と、現職と共通することを教えてください。

前職では、通信機器や電子機器の販売や保守を行う上場企業で、システム系の部門に所属しシステムエンジニアとして働いていました。入社した頃にちょうどパソコンが出始めて、それから約10年は、お客様のオフィス環境の開発や設定、インターネットを使ったシステム開発に携わりました。

当時は、パソコン通信、メール、携帯電話、新しいものがどんどん出てきていたので、新製品情報を自分でいろいろと調べて提案し、お客様と一緒になってシステムを作り上げて行く仕事は面白かったです。

 

−−ドローンのいまの状況とも、似ていませんか?

そうですね。新しいものをどう使っていくかを、考えていくのが本当に面白かったのですが、いまのドローンとの関わり方はパソコンが出始めた頃と、似ているなと感じています。

「次々と生まれてくる新しいものを、積極的にリサーチし、お客様の課題を解決するソリューションとして、いかに取り入れて行くか」。当時と同じことを、パソコンやインターネットから、ドローンでやるようになったという感覚です。

 

−−前職と現職とで、そのほかにも共通点はありますか?

後半の10年は物流系顧客に常駐して、基幹システムの開発に携わりました。物流系の仕組みを作り変えるというプロジェクトがあって、そのマネジメントも行いました。

アイ・ロボティクスでは、事業推進マネージャーとして、事業を拡大させる役割を担っています。具体的な業務内容は、顧客へのロボティクスソリューションコンサルティング、ドローン活用業務サポート、IT活用推進サポートなど。

「業種や業務内容に関わらず、何か課題を抱えて困っているお客様に対して、トータルソリューションを提供して行く」という点は、前職と共通しています。システムエンジニアとしての素地が生きていると思います。

 

−−前職との相違点は?

お客様が抱える課題ごとに、最適な機体やセンサーは異なりますし、電波の問題をどうクリアするかなど、トータルソリューション力が求められるのは前職と同じですが、関連する法規制、通信規格、センサーなど、これまでとは違う新技術を扱うという点は、ソフトウェアのシステム開発とは大きく異なります。インプットと試行の連続です。

まず課題ありきで困っている人がいるから助ける、という仕事は同じで、「助け方が今までとは違う」ということですね。

 

いろんな人と会って、いろんな話をする

−−転職活動としては、どんなことをしましたか?

 実は、転職サイトやエージェントには一切登録していません。でも、とにかくいろんな人と会って、いろんな話をしました。

 

デジハリやエンジニア塾に通ったおかげで、Dron é motionやジャパン・ドローンなど、ドローン業界の第一線で活躍する方々、別の業界や会社でドローンビジネスに関心を寄せる仲間とも出会えました。

 

ドローンメディアさんのミートアップにも、毎回参加しましたよ。ミートアップで、いろいろな方々とコミュニケーションできたことは、とても有益でした。

先日、アイ・ロボティクスでマイクロ・ドローンを利用した点検サービスを発表しましたが、この件に協力いただいた日本ドローンレース協会JDRA副代表 横田淳氏とも、初めてお会いしたのはこのミートアップです。

<関連記事>アイ・ロボティクス、マイクロ・ドローンを活用した狭隘部点検サービスのデモ実施

 

−−どれくらいの期間、転職活動をされたのですか?

2017年12月、エンジニア塾を卒業してから、翌2018年8月までですね。いろんな人と会ってコミュニケーションを取っているうち、ドローン体験会やテストパイロットのお手伝いなど、お声掛けいただくようになって。

在職しながら、こうしたお手伝いをボランティアでやらせてもらいました。そのなかの1つで訪問したのが、利根川沿いにあるドローンフィールド河内。そこで現職であるアイ・ロボティクスの社長、安藤さんと出会いました。

 

信頼関係を築いた、その先にあった転職

−−安藤さんとの出会いについて、お聞かせください。

安藤さんとドローンフィールド河内で出会ったのは、2018年に入ってすぐ。その頃、ドローンでの繋がりから、千葉県の銚子で活動する地元の方と出会い、いろいろと相談を受けていたのですが、その1つに銚子で海難救助コンテストを実施するという企画がありました。

アイ・ロボティクスは、ジャパンイノベーションチャレンジ 山岳救助コンテストの初代課題達成企業。安藤さんに、「山の次は、海でやりませんか?」と言ってみたら、「いいですよ」って。会社として動くとお金がかかるからと、個人で協力してくださったのです。

銚子とドローンフィールド河内が、同じく利根川沿いにあるというご縁からか、安藤さんが川を使ったドローンのソリューションも考えているというアイデアを聞かせてくれたり、一緒に行動するうちに、「すごい人だな」と思い始めました。

 

−−アイ・ロボティクス入社の決め手は?

 私がドローンを初めて知った2年前に可能性を感じた「データを収集してビジネスにする」ということを、アイ・ロボティクスではすでに手がけていた。これは決め手になりましたね。

それから、「新しいものができたから活用しよう」ではなく「お客さんが困っているから、それを使おう」という課題解決にコミットした姿勢、課題を解決するためなら、ドローンが空を飛ぶものではなく地上を這うもの、水上を行くものでもよし、とする考え方も自分にはマッチしていました。

海難救助コンテストの準備を進めている頃、安藤さんには仕事の相談もするようになりました。人生相談的な感じで。ほどなく、アイ・ロボティクスに入社したいと、自分から素直な気持ちをお伝えしました。

 

−−銚子での海難救助コンテストは、国内初の試みでしたよね。どんなことが大変でしたか?

経験のないこと、分からないものを、ゼロから立ち上げることが、すごく大変でした。銚子としても初めて、自分自身も初めて。初めてなのに、だからか(?)、必ずツッコミが入る(笑)。

「この場合はどうするの?」「危なくないの?」「こう書いてあるけど、どういうことですか?」って。準備の段階から運営当日までずっと、地元の方、参加者からも、様々な意見をいただきました。

地元企業の社長さんと私の2人で、企画、集客、運営まで行ったので、2人でそれをうまいこと調整して。安藤さんにアドバイザーとして協力いただけたのは、ありがたかったです。基調講演には慶應義塾大学の南先生、審査員にアイ・ロボティクスの野口さん、MCにはJDRAの横田さんなど、ドローン業界の大御所のキャスティングもしていただきました。

 

−−アイ・ロボティクスに入社したいとお伝えしたあと、いつ内定をいただけたのですか?

海難救助コンテストを開催した日の夜、安藤さんに呼ばれて「(入社したいっていう話は)本気ですか?」と聞かれて。即、「本気です」と応えました。

安藤さんは、コンテスト開催におけるプロジェクトマネジメントを見ていてくれていたのだと思います。人・物・場所の手配、各種申請、予算組みなど、プロマネ的に動いていました。それを見ていてくれて、「合格」みたいな感じでした。

 

−−さまざまな出会いの中で、一緒に働きたいと思える方と巡り合って、人柄や能力を把握してもらう機会も経て、信頼関係をベースに雇用契約に至ったわけですね。偶然を装って訪れた出会いやチャンスに、真摯に向き合われたからこそ、希望にあった転職をできたのだと感じます。

「うちに来てくれたら、今までやってきたようなプロジェクトマネジメントをやってほしい」ということで、それから業務内容や給与のことを話し合っていきました。

アイ・ロボティクスは、映像製作、パイロット、AI、財務などプロフェッショナルが集まった会社でしたので、事業拡大を目指すフェーズに入りマネジメント系の人材を求めるニーズと、私のできることがたまたまマッチしたのではないかと思います。

 

輝いている人と、出会っちゃった

−−前編で、「人生は一度きり、時間を大切にしたい」と思ったことが、転職を決意した一番の理由だとお話いただきました。詳しくお聞かせください。

ドローンの業界を引っ張っている人たちと、出会っちゃったんですよね。業界のいろんな話を聞きながら、「この人たちすごいバイタリティだな、楽しそうだし」「ドローンやってる人たちって、輝いてるなぁ〜」と思うようになりました。

 

−−ドローンやってる人たちは輝いてる(笑)。確かに。当時はご自身が身を置く環境と比べて、思うところもあったのでしょうか。

会社では、パソコンの販売数が落ちて売上が下がっていました。だから、新規事業を立ち上げて、売上を上げないと雇用も維持できないという文脈があったのですが、SEはパソコンの台数に関係なく仕事はありました。

ずっと客先に常駐して、毎年似たようなことだけれど、ちゃんとやっていれば、会社では評価もいいし安定した収入もある。とはいえ日々いろんなことが起きるので、それを解決するのに奔走して、それはそれで大変ですよ。

でも、輝いているかって言われると…。輝く必要はなかった。分かりきっている世界の中で、そつなく、若干のシステム改修を提案して、売上を落とさないようにすることが最も重要で、新しいチャレンジは必要なかったのです。

 

−−輝く必要はないという感覚で、企業に勤めている方は多いように感じます。

大企業でシステムを作っていても、誰かがすごく助かったとか、何かが改善されたというのは見えづらいものです。社内でも、売上や顧客からの信頼は評価されるが、我田が何をやったかは、評価にはあまり関係ない。

システムがリリースされたときも、担当者は喜んでくれても、社会的に影響があるかというとそうでもないし、現場の業務負荷が減ったといえど、経営からするとほんの一部だし。

方や、ドローンを飛ばして輝いている人たちは、空撮して地域活性だとか、離島で水がなくて困っている人たちのところへドローンで水を運んだりしている。「なんて素晴らしいのだろう」と思いました。

 

−−前編で伺った、「相対的に色褪せた」という意味が、よく伝わりました。人や社会の役に立っていることを、よりリアルに実感できる仕事をしたい、と考えられたのですね。

他の席から見て何をやっているか分からない、上手くいっても気づかれない。誰の役に立ったのかが分かりづらい。このままでは、たとえ収入が安定していたとしても、自分はイキイキできないかな、と考えました。

だったら、ドローンの世界へ飛び込んだほうが、いろんなことが起きて大変かもしれないけれども、自分の人生を楽しめるんじゃないかなと。そっちの優先度を上げられるタイミングがきたのだと思います。

 

−−人生のタイミング。

私はいま48歳ですが、子どもが2人とも大学に入学して、妻も再び正社員として働き始めたので、子どもが学校に通えて、自分と奥さんが生きて行けるくらいの収入があればいい。

人生100年といわれるいま、あと20年、30年と働くならば、いろんな人と会って、いろんなことを学んで、いろんなネタを持っているほうが面白いなと思いました。

 

−−今後の夢をお聞かせください。

70歳くらいまで働いて、困っている人を、新しい技術でちょっと手助けできる、ワクワク楽しい世界にしたいですね。目に見えて助かったよっていう顔を見られることが嬉しいので、現場に即した、痒いところに手が届くようなソリューションを提供して、課題を解決して行きたいです。

 

−−ありがとうございました。

ありがとうございました。

 

我田友史氏プロフィール

新卒入社した大手コンピュータ販売会社に約20年勤務し、システムエンジニアとして活躍。基本情報処理技術者、ソフトウェア開発技術者、情報セキュリティスペシャリスト、情報処理安全確保支援士、ビジネス実務法務3級、貿易実務検定B級・C級など保有資格多数。2017年、デジタルハリウッド ロボティクスアカデミー ドローン専攻卒業、JUIDA無人航空機操縦技能者、JUIDA無人航空機安全運航管理者、第四級アマチュア無線技士、第三級陸上特殊無線技士取得。ドローン・ジャパン主催 ドローンソフトウェアエンジニア養成塾を卒業後、同塾にて講師も勤める。2019年4月、株式会社アイ・ロボティクス入社。事業推進マネージャーに就任し現在に至る。

 

編集後記

終身雇用制度のもとで働く人は、すでに日本人の約2割にまで減っていると聞いたことがあります。40代〜50代で最初のキャリアの節目を迎えて前半を区切り、50〜60代で後半のキャリアを構築する、という我田さん流のキャリア設計は、ミドル世代が人生100年時代を生き抜くための1つのロールモデルになるのではないでしょうか。